hoshi368death

解脱できなくて現実逃避

『中学生円山』が好きな人とは友達になれる

 無気力が極限に達して文章を書いてませんでしたが書きます。『中学生円山』とは宮藤官九郎が監督した映画です。向井秀徳が音楽を担当しているとのことで観ましたが、良いんですよ、全部が。

 

 ネットのレビューとかではボロクソに言われてますが、私は大好きです。ストーリーが「現実パート」と「妄想パート」に分かれていて、映画の後半で「妄想パート」か「現実パート」なのかわからなくなっていく感じが素晴らしかったです。

 主演の中学生やヒロインの演技もよかったのですが、やはり草彅剛の演技が良かったです。あの独特の雰囲気ができる人は中々居ないと思いますし、あのチャリに乗れない人の演技は真似できそうでできないと思います。

 「妄想パート」におけるバイオレンス描写がどことなく北野武の映画っぽい演出だったのもなんか好きですね。カメラワークは素晴らしく、演出の無駄遣い感があって そこらへんも良かったです。

 くだらないことを一生懸命やることの哀愁とその美学みたいなものが作品に内包されていて、「妄想パート長すぎー」って観ている間は思いますが アレを省略してしまうと後半の謎のカタルシスみたいなものは生まれないと思いますので絶妙な匙加減なのだと思います。

 ネタバレになるかもしれませんが、レビューで色々言われてるのが悲しいのであえて書きます。ラストでのヒロインと主人公のヨリが戻ったかの描写はヒロインの発言からもわかるように「仲が戻ったかのように見えるけれど実際はただのすれ違い」ということを示していると同時に後半の「下井&円山VSヤクザ+警察」が円山の妄想であったことを示しているのだと思います。

 

 ともかく向井秀徳の音楽を聴きながら色々な俳優の演技も観れて、遠藤賢司の歌と演奏も楽しめるという素晴らしい映画なので是非レンタルするなり買うなりしてください。

井上陽水を聴く ロッキンユー打ち切り 毎日が終わりで屑で世界の果てで

 ピエール瀧が薬物で捕まったり内田裕也が死んだりナンバーガールが再結成したり平成の終わりに色々あるが、それはそれとして、傘が無い。

 

 最近、井上陽水のアルバムを一枚ずつ丁寧かつ乱雑に聴いている。今までベストアルバムとかでしか陽水を聴いたことが無かったので、聴くごとに新たな発見がある。やっぱり『氷の世界』は凄いよ。捨て曲が無い。全曲シングルカット出来ると思う。以前スヌーザー(タナソーがやってた雑誌)の日本のアルバムベスト50(だっけ?)でかなり上位に食い込んでいただけあるぜ(曖昧な称賛)。僕のテレビは寒さで 画期的な色になり。

 

 ジャンププラス(ジャンプのweb漫画サイト)でやってたロッキンユーが打ち切られた。全4巻という感じであろうか。次回最終回。どうなるだろうか。正直連載当初は全然好きじゃなかったし今も大して好きではない。だが打ち切られるとなると感慨深くなってきてしまった。ふつうに見ればイタい系似非バンド漫画である。著名人が絶賛しているみたいだが本当だろうか。ロッキンユー読むんだったら梅澤春人のBOY読んだ方がいいだろ(漫画としてのベクトルが違う)。

 ロッキンユーの価値は打ち切り漫画だというのに最初から最後まで(まだ最終回じゃないからわからないけど、恐らくは)「イタいことを大真面目にやるのもいいことだよね」という姿勢を崩さなかったことではないか。作者のやりたいことに注視している感じは凄いと思った。だから一応ジャンプ系列の漫画なのにヒロインらしいヒロインが一切出て来ず、それとなくトーナメント展開をやりつつ、ひたすらに男児が「エモい」を連呼するのだ。子供がバンドを通じて自分の思う「エモさ」を他人に見せつけるさまを描くことが目的であったのだからそれで良かったのだ。

 そういう目的を貫く姿勢は素晴らしいので 作者は「もうプロとして漫画は描かない」とTwitterで言っているが、辞めないでほしい。100人どころか1億人に刺せよ。

 

 はい、ということで年号が来月変わるけれども相も変わらず労働もそれに付随する生活は泥沼。やってられなさが心を掴んで動悸をつくる。四月は色々アレなので五月には東京に二日間くらい滞在したい。本当に、田舎者だから東京に行くことくらいしが楽しみが無いのだ。地元の同級も大学の同級もみんな関東圏に居るので会うには東京(あるいはその周囲)に行くしかないし。sassya-のライブ観てディスクユニオンとか行こう。それしかない。愛も情も熱も無い。有るのは矮小な欲望だけ。屑で愚図で浮腫。世界の果てで、この世の終わりで、ミサイルと魔女と隕石と鉄槌と体長5kmの滅茶苦茶でかいトカゲが同時に降下して何もかもが原初に還って欲しい

 

ノベンバーズ 余暇の価値 物を捨てたくなる

 ノベンバーズのニューアルバムがそろそろ発売する。予約するか迷ったけどこれまでリリースされた音源を聴くのが先だなと思って1stミニアルバムと2ndミニアルバムをとりあえず聴いた。最近のアルバムは何枚か聴いていたが音楽性が割と変化するバンドであるので他の音源も聴いていきたい。基本的に「V系っぽくてノイズっぽいsyrup16g」みたいな感じで好き。ニューアルバムに収録されるというスーサイドのカバー曲が良かったので、あらかた既盤(っていうのかわからないが)を聴いたら買おうと思う。

 ノベンバーズなのかノーベンバーズなのかはっきりしてほしい。まあ、どっちでもいいんだろうけど。

 

 スーパー銭湯に行くとどうしてもワイドショーを観ねばならなくなる。サウナに行かなければいいという話だがスパ銭に行ってサウナに行かないのはどうももったいない気がして…。ワイドショー以外にも、大声で世間話をするおっさんグループが毎回居て不快。若者のマナー違反がメディアでは取り上げがちだが、中年初老のマナーの悪さも取り上げてほしい。お前のことだよ午後のワイドショー。天皇陛下の被災地訪問をコメンテーター替えつつ何時間もやっている時間があるならもっと他のことに目を向けろよ(別に天皇を批判している訳ではないよ)。まあ、そりゃあ同じことを延々とやったほうが尺稼ぎになるんだろうけど。

 というように心の奥の左翼思想が暴発しそうになるから真剣にスパ銭に通うの少し止めてみようと思う。夜勤明け マジで眠いときはでかいショッピングセンターの駐車場に車を停めて少し寝よう。

 習慣というか、日課というか、継続して心が豊かになるような余暇活動を新たに見つけなければならない。このまま地方で漫然とブルーカラー労働をしていると苦しみしか生まれなくなってしまう。創作が精神疲労でできないので、何か別のベクトルで何かをやっていきたい。

 

 物を捨てたくなる。物を捨てると素晴らしいことをしたような錯覚に陥ることが出来る。買ったものが数日で捨てなくてはならないものに変わる。古紙回収や廃品回収大好き。BOOKOFFで売るのも好き。だけど、捨てた分また何かを買ってしまうので部屋は一向に美しくならない。っていうか親の使わなくなった衣類や布団、要らないお歳暮などが俺の部屋に押し込まれているのだ。きれいになるわけがない。正直言って捨てたいが親は「いつか必要になるかもしれない症候群」なのでこっそりと明らかに要らないものを少しづつ捨てていくしかない。いい加減にしてくれ。俺は使わない布団や着なくなった衣類に囲まれて一体いつまで過ごさねばならないのだ。一人暮らししたいが、田舎なので色々しがらみがあり…、何とも……。

向井秀徳ループ理論 俺がやる必要がない 会社の班とか委員会とか疑似獄

 自分がネットに上げている文章、大体「死にたい・創作できない・労働の不安」しか書いていない。同じことを何度もループして書いているような気分になる。要はそれしか書けることがない、書きたいと思う内容がないということなのだろう。でも、向井秀徳も一体何曲「冷凍都市」とか「六本の狂ったハガネの振動」という単語を使っているのか って話だし、それが作風みたいな感じだろうからこれでいいのだ。別に何か書くことによって何かに繋げようとか思っていないし。

 

 相変わらず創作ができない。絵も小説も詩も、何もかも既存の作品がすべて素晴らしいので 自分がやる必要ないな という現実があり、心が折れる。どうあがいても既存の作品の模倣未満の駄作しか生まれない現実。突出した個性も深い描写も期待できない。行うことを精神安定にしようとしているのに、行うことが精神を不安定にさせてしまう矛盾。って矛盾でもなんでもない。俺が屑であるというだけ。ただそれだけ。

 

 会社の物品補充班と研修委員会に配属されている。志願でなく強制である。新年度に勝手に上から決められる。物品補充班は物品の補充、発注をする。研修委員会は毎月二回行われる施設内研修の開催・資料準備・その他雑務。本当にどちらもやりたくない。特に研修委員会。毎月二回も色々なことを勤務外にやらなきゃならない。無論サービス残業で。施設内研修ってそもそも要る? 法律で決まってても、もっと他にやり方があると思う。月に二回も勤務後に職員大体集めて一時間も要る? 要らぬだろう。誰も幸せにならないシステム。講師は職員の中の誰か。誰かが犠牲になる。出席した人も、講師も、委員も。そこから逃れられるのは夜勤者と遅番の者だけ。本当に駄目。新年度は解放されたいが、また他の委員や班をやらせられるのも嫌だ。今の職場から解放されたいが 資格取る際に市の補助金を勝手に申請されたせいで、資格取得後三年は市内の施設に勤めねばならない。転職するの大変だからこのままやり過ごすしかない。

 本当にずっとつらい。職場も家庭もその他も全てぬるま湯の疑似獄。疑似獄が常時継続する。疑似獄のぬるま湯が肌に不快感を及ぼす。何もかもやる気が出ず、ぼーっとしながら日付が変わる。終わる終わる精神が終わる。

バンプとレミオロメン 最後の西遊記 迷惑じゃない死に方

 最近バンプとかレミオロメンとか、自分が中学生の頃に聴いていたバンドの曲をよく聴く。だんだん自分の知らない音楽や新しい音楽を探求したりせずに過去に聴いた音楽をループして聴くようになってしまいそうで怖い。怖い、というのは音楽の探求(といっても大したことをしていない。CD屋やYouTubeで音楽を探すだけ)が自分の生きがい(といっても大したことではない。何となく死んでいない曖昧な理由であるというだけ)だと思っていたから、それが無くなるといつ死んでもいいような気分になってくるからである。どうなるんだろう。だんだん色々どうでもよくなる。生きるに値する娯楽とそれを楽しむ時間とそれを感受する術をくれよ。

 

 週刊少年ジャンプの新連載『最後の西遊記』が今のところめちゃくちゃ好き。まだ一話だから何とも言えないけど。主人公がヒロインを守る動機と主人公が生きる理由を一話かけて丁寧にやっているのが凄い。感情を描けているというか、ストーリーテーリングがエモーショナル。絵柄もポップなコロコロコミックって感じでめちゃくちゃカッコいい。障害等級第一級系ヒロインが見てて悲しいけど、だからこそ感情描写が際立つのかもしれない。普通に読むと退魔ものになるのかな、という感じだけど冒頭のユーチューバーっぽい展開は何なのだろう。わくわくが止まらないぜ、たぶん。

 

 ウシジマくんの最終回(原作のほう。実写ではない)で風俗嬢債務者の弟が「一番確実に死ぬ方法は人をたくさん殺して死刑になることらしい」と言っていたのが非常に印象的だった。多くの自殺とそれに付随する行動は周囲に止められたり、途中でビビッて辞めてしまったり、準備が面倒だったりでけっこう難しい。中途半端に助かって、負傷の後遺症に苦しむことやメンタルの病棟に入れられたりするの辛い。だからこその死刑。中々いい線いっている。

 結局他人に迷惑をかけない死 というものは存在しないのだろう。老衰で死んでも家族が遺体の処理、葬儀やその他役所の手続き等多くの手間がかかる。

 線路飛び込みの賠償金を払うのは遺族だ。どこで飛ぼうが首吊ろうが練炭焚こうが検死はあるし特殊清掃はあるしその場所は心霊スポットないし事故物件になる。家族や親戚は血縁者が自殺したというレッテルを貼られて生き続ける羽目になる。

 そもそも死なれるのは誰でも、大体は、恐らくは、きっと、悲しいし迷惑だろう。

 周りに迷惑かけたくないし、色々めんどくさいから死なない。

 まあ、今のところそれでいい。それでいいと思う。かもしれませんね。終わり。