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解脱できなくて現実逃避

井上陽水を聴く ロッキンユー打ち切り 毎日が終わりで屑で世界の果てで

 ピエール瀧が薬物で捕まったり内田裕也が死んだりナンバーガールが再結成したり平成の終わりに色々あるが、それはそれとして、傘が無い。

 

 最近、井上陽水のアルバムを一枚ずつ丁寧かつ乱雑に聴いている。今までベストアルバムとかでしか陽水を聴いたことが無かったので、聴くごとに新たな発見がある。やっぱり『氷の世界』は凄いよ。捨て曲が無い。全曲シングルカット出来ると思う。以前スヌーザー(タナソーがやってた雑誌)の日本のアルバムベスト50(だっけ?)でかなり上位に食い込んでいただけあるぜ(曖昧な称賛)。僕のテレビは寒さで 画期的な色になり。

 

 ジャンププラス(ジャンプのweb漫画サイト)でやってたロッキンユーが打ち切られた。全4巻という感じであろうか。次回最終回。どうなるだろうか。正直連載当初は全然好きじゃなかったし今も大して好きではない。だが打ち切られるとなると感慨深くなってきてしまった。ふつうに見ればイタい系似非バンド漫画である。著名人が絶賛しているみたいだが本当だろうか。ロッキンユー読むんだったら梅澤春人のBOY読んだ方がいいだろ(漫画としてのベクトルが違う)。

 ロッキンユーの価値は打ち切り漫画だというのに最初から最後まで(まだ最終回じゃないからわからないけど、恐らくは)「イタいことを大真面目にやるのもいいことだよね」という姿勢を崩さなかったことではないか。作者のやりたいことに注視している感じは凄いと思った。だから一応ジャンプ系列の漫画なのにヒロインらしいヒロインが一切出て来ず、それとなくトーナメント展開をやりつつ、ひたすらに男児が「エモい」を連呼するのだ。子供がバンドを通じて自分の思う「エモさ」を他人に見せつけるさまを描くことが目的であったのだからそれで良かったのだ。

 そういう目的を貫く姿勢は素晴らしいので 作者は「もうプロとして漫画は描かない」とTwitterで言っているが、辞めないでほしい。100人どころか1億人に刺せよ。

 

 はい、ということで年号が来月変わるけれども相も変わらず労働もそれに付随する生活は泥沼。やってられなさが心を掴んで動悸をつくる。四月は色々アレなので五月には東京に二日間くらい滞在したい。本当に、田舎者だから東京に行くことくらいしが楽しみが無いのだ。地元の同級も大学の同級もみんな関東圏に居るので会うには東京(あるいはその周囲)に行くしかないし。sassya-のライブ観てディスクユニオンとか行こう。それしかない。愛も情も熱も無い。有るのは矮小な欲望だけ。屑で愚図で浮腫。世界の果てで、この世の終わりで、ミサイルと魔女と隕石と鉄槌と体長5kmの滅茶苦茶でかいトカゲが同時に降下して何もかもが原初に還って欲しい

 

ノベンバーズ 余暇の価値 物を捨てたくなる

 ノベンバーズのニューアルバムがそろそろ発売する。予約するか迷ったけどこれまでリリースされた音源を聴くのが先だなと思って1stミニアルバムと2ndミニアルバムをとりあえず聴いた。最近のアルバムは何枚か聴いていたが音楽性が割と変化するバンドであるので他の音源も聴いていきたい。基本的に「V系っぽくてノイズっぽいsyrup16g」みたいな感じで好き。ニューアルバムに収録されるというスーサイドのカバー曲が良かったので、あらかた既盤(っていうのかわからないが)を聴いたら買おうと思う。

 ノベンバーズなのかノーベンバーズなのかはっきりしてほしい。まあ、どっちでもいいんだろうけど。

 

 スーパー銭湯に行くとどうしてもワイドショーを観ねばならなくなる。サウナに行かなければいいという話だがスパ銭に行ってサウナに行かないのはどうももったいない気がして…。ワイドショー以外にも、大声で世間話をするおっさんグループが毎回居て不快。若者のマナー違反がメディアでは取り上げがちだが、中年初老のマナーの悪さも取り上げてほしい。お前のことだよ午後のワイドショー。天皇陛下の被災地訪問をコメンテーター替えつつ何時間もやっている時間があるならもっと他のことに目を向けろよ(別に天皇を批判している訳ではないよ)。まあ、そりゃあ同じことを延々とやったほうが尺稼ぎになるんだろうけど。

 というように心の奥の左翼思想が暴発しそうになるから真剣にスパ銭に通うの少し止めてみようと思う。夜勤明け マジで眠いときはでかいショッピングセンターの駐車場に車を停めて少し寝よう。

 習慣というか、日課というか、継続して心が豊かになるような余暇活動を新たに見つけなければならない。このまま地方で漫然とブルーカラー労働をしていると苦しみしか生まれなくなってしまう。創作が精神疲労でできないので、何か別のベクトルで何かをやっていきたい。

 

 物を捨てたくなる。物を捨てると素晴らしいことをしたような錯覚に陥ることが出来る。買ったものが数日で捨てなくてはならないものに変わる。古紙回収や廃品回収大好き。BOOKOFFで売るのも好き。だけど、捨てた分また何かを買ってしまうので部屋は一向に美しくならない。っていうか親の使わなくなった衣類や布団、要らないお歳暮などが俺の部屋に押し込まれているのだ。きれいになるわけがない。正直言って捨てたいが親は「いつか必要になるかもしれない症候群」なのでこっそりと明らかに要らないものを少しづつ捨てていくしかない。いい加減にしてくれ。俺は使わない布団や着なくなった衣類に囲まれて一体いつまで過ごさねばならないのだ。一人暮らししたいが、田舎なので色々しがらみがあり…、何とも……。

向井秀徳ループ理論 俺がやる必要がない 会社の班とか委員会とか疑似獄

 自分がネットに上げている文章、大体「死にたい・創作できない・労働の不安」しか書いていない。同じことを何度もループして書いているような気分になる。要はそれしか書けることがない、書きたいと思う内容がないということなのだろう。でも、向井秀徳も一体何曲「冷凍都市」とか「六本の狂ったハガネの振動」という単語を使っているのか って話だし、それが作風みたいな感じだろうからこれでいいのだ。別に何か書くことによって何かに繋げようとか思っていないし。

 

 相変わらず創作ができない。絵も小説も詩も、何もかも既存の作品がすべて素晴らしいので 自分がやる必要ないな という現実があり、心が折れる。どうあがいても既存の作品の模倣未満の駄作しか生まれない現実。突出した個性も深い描写も期待できない。行うことを精神安定にしようとしているのに、行うことが精神を不安定にさせてしまう矛盾。って矛盾でもなんでもない。俺が屑であるというだけ。ただそれだけ。

 

 会社の物品補充班と研修委員会に配属されている。志願でなく強制である。新年度に勝手に上から決められる。物品補充班は物品の補充、発注をする。研修委員会は毎月二回行われる施設内研修の開催・資料準備・その他雑務。本当にどちらもやりたくない。特に研修委員会。毎月二回も色々なことを勤務外にやらなきゃならない。無論サービス残業で。施設内研修ってそもそも要る? 法律で決まってても、もっと他にやり方があると思う。月に二回も勤務後に職員大体集めて一時間も要る? 要らぬだろう。誰も幸せにならないシステム。講師は職員の中の誰か。誰かが犠牲になる。出席した人も、講師も、委員も。そこから逃れられるのは夜勤者と遅番の者だけ。本当に駄目。新年度は解放されたいが、また他の委員や班をやらせられるのも嫌だ。今の職場から解放されたいが 資格取る際に市の補助金を勝手に申請されたせいで、資格取得後三年は市内の施設に勤めねばならない。転職するの大変だからこのままやり過ごすしかない。

 本当にずっとつらい。職場も家庭もその他も全てぬるま湯の疑似獄。疑似獄が常時継続する。疑似獄のぬるま湯が肌に不快感を及ぼす。何もかもやる気が出ず、ぼーっとしながら日付が変わる。終わる終わる精神が終わる。

バンプとレミオロメン 最後の西遊記 迷惑じゃない死に方

 最近バンプとかレミオロメンとか、自分が中学生の頃に聴いていたバンドの曲をよく聴く。だんだん自分の知らない音楽や新しい音楽を探求したりせずに過去に聴いた音楽をループして聴くようになってしまいそうで怖い。怖い、というのは音楽の探求(といっても大したことをしていない。CD屋やYouTubeで音楽を探すだけ)が自分の生きがい(といっても大したことではない。何となく死んでいない曖昧な理由であるというだけ)だと思っていたから、それが無くなるといつ死んでもいいような気分になってくるからである。どうなるんだろう。だんだん色々どうでもよくなる。生きるに値する娯楽とそれを楽しむ時間とそれを感受する術をくれよ。

 

 週刊少年ジャンプの新連載『最後の西遊記』が今のところめちゃくちゃ好き。まだ一話だから何とも言えないけど。主人公がヒロインを守る動機と主人公が生きる理由を一話かけて丁寧にやっているのが凄い。感情を描けているというか、ストーリーテーリングがエモーショナル。絵柄もポップなコロコロコミックって感じでめちゃくちゃカッコいい。障害等級第一級系ヒロインが見てて悲しいけど、だからこそ感情描写が際立つのかもしれない。普通に読むと退魔ものになるのかな、という感じだけど冒頭のユーチューバーっぽい展開は何なのだろう。わくわくが止まらないぜ、たぶん。

 

 ウシジマくんの最終回(原作のほう。実写ではない)で風俗嬢債務者の弟が「一番確実に死ぬ方法は人をたくさん殺して死刑になることらしい」と言っていたのが非常に印象的だった。多くの自殺とそれに付随する行動は周囲に止められたり、途中でビビッて辞めてしまったり、準備が面倒だったりでけっこう難しい。中途半端に助かって、負傷の後遺症に苦しむことやメンタルの病棟に入れられたりするの辛い。だからこその死刑。中々いい線いっている。

 結局他人に迷惑をかけない死 というものは存在しないのだろう。老衰で死んでも家族が遺体の処理、葬儀やその他役所の手続き等多くの手間がかかる。

 線路飛び込みの賠償金を払うのは遺族だ。どこで飛ぼうが首吊ろうが練炭焚こうが検死はあるし特殊清掃はあるしその場所は心霊スポットないし事故物件になる。家族や親戚は血縁者が自殺したというレッテルを貼られて生き続ける羽目になる。

 そもそも死なれるのは誰でも、大体は、恐らくは、きっと、悲しいし迷惑だろう。

 周りに迷惑かけたくないし、色々めんどくさいから死なない。

 まあ、今のところそれでいい。それでいいと思う。かもしれませんね。終わり。

サウナでワイドショー アヒトのflag 俺は何もつくれない

 夜勤明け、スーパー銭湯のサウナに行くのだが サウナ内で観たくもないテレビ番組を観なきゃならないのが苦痛。平日午後のワイドショーのコメンテーターが自分は何もしないのに偉そうに机上の空論並べ立てて責任を特定の何かのせいにして結論をでっちあげるのが著しく不快。平日午後のテレビ番組はそんなのばかりで、平民の一番の娯楽は捏造された正義と他人の不幸なのだと痛感する。サウナ、テレビ要らないのだ。BGM適当に流しとけばそれで良いと思う。サウナで観るテレビがまた格別、なんて思う人も居るのだろうか。

 

 ナンバーガールの再結成でアヒトイナザワネトウヨだとか、vola&the oriental machineのflagの歌詞がおかしいだの色々言われているが別にどうでもいい。そもそも2010年に作られた歌の歌詞に今頃ケチつけるのがまず意味が分からないし、flagはマジいい曲なのでYouTube聴いてから批判しろよ、という感じ。アヒトが政治的にどういうスタンスであるかどうかはナンバガに関係無い。ごちゃごちゃ煩いスノッブ共が不用意に喚いて煩悶。狂い死ねダボが。

 

 俺は何もつくれない。スーパー銭湯でふわふわと思考して小説、詩などのアイデアを考えるがまともな形にならない。どう頭を使っても既存の作品の模倣が稚拙に歪んだものができてしまう。オマージュ、と言い張ってもセーフにならないくらいオリジナルと比べて陳腐なものを発表するのは無益で迷惑で不快。わかっていても続けてしまう。まともに社会活動ができない愚物だから虚業で日銭を稼ぐ幻想にしがみついてしまう。夢を持つのは悪ではないが、実現不可能な幻視幻聴幻覚めいたものは社会生活不適合者の慰み物でしかない。現実が見れない。行動はしない。心の中で他者を嘲笑って自分の痴態を棚に上げる愚図が俺の正体。なるべく早めに病んで死んで燃えて消えたい。