hoshi368death

解脱できなくて現実逃避

詩が書けない コミティアに行こう 幻想が付き纏う

 詩の雑誌を買って、その雑誌に投稿して、承認欲求を満たし、生きる不安を取り除こうと画策した。ざっと雑誌を閲覧し読者投稿欄に目を通し、やるぞと思いワードを立ち上げるも何も思い浮かばない。Twitterで駄文を1,2行書くのとは違い、作品として文章を構成することの難しさを思い知る。読者投稿欄を見て「何とかなりそう」と思った自分自身を呪いたい。

 

 2月17日、18日上京を画策していたが17日はコミティアビッグサイトで行われることを思い出し、俄然希望が生まれた。17日まで多分死なない。17日の後はまだわからない。

 

 冬は新潟の山奥(私の居住地周辺)は雪で覆われ、多くの人間の活動性が停滞する。故にそんな状況下でこそ労働以外基本引き篭もり、創作に励むに最適な環境であるのだが、ほぼ何も生産できず駄絵と駄文で茶を濁している状態。この世に居る意味など考え生きる理由に創作をあてがおうとしているのに空回り。心中にクリエイターになりたい気持ち、つまりは創作者幻想が付き纏い、不安と嫉妬と怒りが膨張し暖房設備が炬燵しかない自室で曖昧にネットサーフィンしている。創作を金の糧にする幻想がやっと振り払えたのに精神安定の糧に創作を行い、かつ承認欲求を満たしたいという爛れた発想が拭い切れない。拭っても拭っても血管を切った皮膚が如く出続ける。

 曖昧な労働と家庭環境を通過するためには生きる糧が必要。生きる糧を考えて行かないと死ぬ。行動力が無いから実際に死んだりしないけど社会的に死ぬ。逃亡、したい。どこか遠くへ。

すぐ飽きる、七月にザゼンボーイズ、現代詩

 何をしてもすぐ飽きる。良いなー と思ったものも数日後にはどうでもいいものと化してしまう。楽しさの追求が雑になっているというか、楽しいと思い込もうとしているというか。バッティングセンター行くこと、停滞してる。バット19回振って300円は無駄かもしれない。わたモテは14巻読んだあと興味なくなった。何か、もこっちに嫉妬しているわけではないのだが。もうハッピーだからこれ以上読まなくていいじゃん、みたいな。スーパー銭湯に夜勤明けに行くのはまだ続いている。ネカフェでなくスーパー銭湯のほうが精神的充足感が高い。

 

 7月6日に新潟で行われるザゼンボーイズのライブに行く予定。そのためだけに生きるぞ。死にたいって言うやつ絶対死なない。ライブに色々行きたい。トリプルファイヤーのライブにもいつか行きたい。吉田靖直のエッセイの連載、書籍化してくれ。サカナクションのライブもいつか行きたい。でもMACを5人でカタカタやるライブパフォーマンスは正直止めてほしい。あれなんなの。

 

 現代詩に触れてみようと思った。純文学で新人賞を獲るのより現代詩で文壇にデビューするほうが確率的に高いのではないだろうか。収入とか別として。中学生の頃ノートにポエムをしたためる人間は沢山居ても雑誌に投稿する人とかあんま居ないだろうし。実際どうこうするのとか別にして知らないクラスタに己を突っ込んでみたい。俺はセンスが無いから何も大成しない。夢見るだけで良いのだ。雑誌に中二ポエムを投稿して出版社の人間に嘲笑われる愚者になるか。それともどうもしないか。

 

 なんか、こんな感じです。こまごました思いを3つくらい、つれずれなるままに書くのをブログで定期的にやっていきたい。

ゴールが無い 三連休に困惑 最近読んだ本

 学校を卒業してから達成感がありません。もう、こんなことが、ずっと… という感じで、もう、、、労働は、、、、

 

 BOOKOFFでインディーズイシュー(雑誌)の神聖かまってちゃんが表紙のやつが手に入ってちょっと嬉しいな っていうくらいで大した幸福がありません。蛸地蔵(今絶賛活動休止中のサイケバンド)のインタビューも載っててお得でした。

 

 ギターはあきらめました。俺にはギター以外にもっと他に出来ることがあるはず…と思い込んでそのまま死んでゆくのでしょう。愚図で屑。

 

 二月に急に三連休が発生して困惑、というか勤務日が増えたことによる変更なので全然嬉しくないというか無益というか なんというか。とりあえず何となく東京に行きます(田舎者なのでとにかく東京に行きたい気持ちが生まれる)。

 

~最近読んで良かった本~

カネコアツシの画集。対談が良かった。画集の中に収録されたTKDとの対談での「バブル期は読み切り一作描くと二か月暮らせた」という話が印象的でした。

②わたモテ。漫画です。急に全巻買いました。わたモテはアニメをちょっと観ただけだったのですが。全巻読んでみて、巻数が進むにつれて群像劇が生まれてきて凄いと思いました。

③狂い咲け、フリーダム。栗原康という人が編集?した日本のアナーキストのアンソロジー。色々な人の文章がありましたが大杉栄の文章は群を抜いてかっこいいと思いました。流石アナーキーインザJP。

 

 あ、こんな感じです。毎日いつもバーンアウトシンドローム。長い文章が書けない。死にたい消えたい爆発霧散したい。

BURGER NUDS の ANALYZEに成りたかった

www.youtube.com

 バーガーナッズに成りたかった。正確に言うとアナライズのMVみたいになりたかった。アナライズのMVのように生きれたらどれだけ良いだろう。

 

 単語の羅列 画質の悪い白と黒 冬の海とマフラーと弦と太鼓 そして、

 

 倍速コードの破壊衝動

 

 なんだ?倍速コードって? まあとりあえず昔も今もアナライズのMVになりたいしアナライズのMVみたいなものを作るクリエイターになりたいしバンプもシロップもいいけどやっぱりバーガーナッズ

模倣と日々と虚無と虚構

 絵でも音楽でもなんでもいいけれど憧れを抱くと大抵の人間は模倣する。こんなふうになりたい、という思いの発露なのであろう。そこからオリジナルに向かっていくか否かでセンス、才能というのがわかってくる。はじめからオリジナルに向かう人間も稀にいるのかもしれないが、それが純度100パーセントのオリジナルかどうかは……という話である。

 私は模倣の時点でうまくいかなかったのでスタートラインにも立てていなかったというわけである。

 

 最近10年ぶりにギターを買ったのだけど練習する時間的余裕も精神的余裕もない。というのも同居している母が腰の骨を圧迫骨折してしまい、結局入院となったのであるが家事を含めて色々厳しいからである。私ひとりであればどうとでもなるのであるが父や祖母等も居るのでその辺が色々あるのであり、母入院中の際の雑務も色々あるため色々色々である。

 逃亡したい気持ち、逃亡逃亡逃亡要求である。秤の様な労働、沼のような家庭、屑のような人生。

 

 スーパー銭湯に行くとアオイホノオを思い出す。スーパー銭湯行けるならギターも弾けるじゃん、ということもあるがスーパー銭湯に行くこととギターを弾くことは精神疲労度が異なるからスーパー銭湯には行くのである。しかし夜勤明けにだけ行く。普段は行かない。風呂とかサウナとかというより休憩所で寝たいのである。たまにスキンケア用品のセールスも居るがそれはそれとして夜勤明けはとにかく寝たいのである。

 さてアオイホノオであるが何故思い出すのかと言えば赤井と庵野が銭湯でウルトラマンごっこを(大学生なのに)するというくだりがあるからで、そのモラルとかそういうのではなく周りの利用客が憤慨しているのを山賀がなだめるシーンがとても好きだからである。ドラマや漫画の山賀ヒロユキは現実の山賀博之とは違うのであるが、モデルなのは事実なので山賀さんに会いたいなー という気分になってくる。

 山賀博之さん、食えているのだろうか。今、食いっぱぐれているんじゃないのだろうか。『蒼きウル』、どうなったのだろうか。

山賀さんは同じ新潟県出身なのでどことなくシンパシーを感じる。私は新潟の田舎のほうで、山賀さんは新潟の都会のほうだけどそれはそれである。アオイホノオでは絵が描けない、と言っているが本当は描ける。というかダイコンフィルムの背景描いてたんだからそりゃそうで 赤井庵野よりは描けない方 というニュアンスを島本和彦がマンガとして描いたらああなったのであろう。アオイホノオにおける「人を集める」というスタンスは本当らしく、インタビューでよく言っている。「同じ映画を10回観れば監督になれる、というのを本で見つけて『がんばれベアーズ』を10回観たら本当になれた」という話がたまらなく好きだ。本当の人間性とかはよくわからないけどスタンスとかそういうのは好きだ。

 

 模倣者にも起源者にもなれない私は既存の虚構や創作者の逸話を脳に記憶させて気を紛らわす。淹れたばかりなのに出涸らしの味しかしない茶の様な屑だ。

 死にたい。けど死なない。虚無は恐ろしいから。自分が無くなる恐ろしさに打ち勝つには悟るしかない。だけれども、悟りの真の意味とかそういうものとは別として、現代日本じゃ悟れない ということ。他の誰かは別として、少なくとも私は現代日本じゃ悟れない。チベット奥地でも多分、悟れないだろうけれど。

 苦しみの全くない 清らかな境地に、粗悪品でいいから至りたい。

 

運転中、独り言を言う

 車の運転中、乗せる人も居ない車内で独り言を言う。飲み会で誰かに己の境遇や最近興味を持っていることを話す、という感じで。

 それを無意識にやってしまうので、気付いた時の虚しさといったら。

 職場と家の往復に、申し訳程度にTSUTAYAブックオフとコンビニが付随しているだけで 生活範囲に親しい友人も居ないから話したい気持ちがそれのみで専行するのだろう。

 

 最近ものの味がよくわからないので七味唐辛子やワサビをたくさんかけるようになった。刺激でごまかすというか、起伏を持たせてやり過ごすというか。そりゃ苦いか甘いか程度は判別できるが、美味しいか美味しくないかがよくわからなくて 「なんでもいいや」 が生まれて食への興味が湧かなくなっている。食材をスープの素にぶち込んで刺激物をまぶして無為に食べる。

 音楽を聴くも数日後に飽きて、次のものを探すがまた数日後には… が続いている。ギターをリサイクルショップで眺めてから弦に触れて不器用な己を呪う。金と器用さ どちらもないから貧民。不器用な貧民の中途半端な慟哭。

 インターネットを無為にサーフィンして時間をドブに落としている。行動の無価値に絶望してスマートフォンの電源を落とすと、黒い画面にしなびた瓜に細長い目が埋め込まれた物体が映り込む。間違いなく自分であり、悲しさがつのる。死にたさが生まれる。最近「死にてぇ」を口に出さなくなった。心の中で思った時には既にその行動は終わっているのかもしれない。

 

 劇的な何かが己を包み込んでバイタリティーが溢れてこないだろうか。手取り十数万で働きたくない。クリエイティブで日銭が稼ぎたい。だけれどそもそもクリエイティブが頭の中に無い。技術やノウハウはおろか想像力が無い。ただ消費して消費した感想を頭の中で揺らしているだけだから運転中に独り言を言うことぐらいしか近況報告の内容にできない愚図として顕現される。

ガセネタのライブと渡辺電機(株)のイベントと憧憬の終わり

 

 10/21にガセネタのライブ。

 そして漫画家の渡辺電機(株)先生のイベントに行きました。

 それぞれとても良くて、楽しく、友人にも久々に会い、充実した東京遠征でした。

 

 ですけれども友人との会話で悲しみを感じました。このバンドがすごい、この漫画家がすごい とお前は言うが、お前自身は何者でも無いじゃないか それで憧れをまるで自分の服のように扱って着飾って ダメだろ。という趣旨の話をしました。

 本当にそうで、憧れていれば救われたような気持ちになるだけで、自分自身は何も進展していない訳なので、何か成さねばならないな…と感じました。現在の労働も余暇も生産、創造という面が乏しいので 何かやっていかなければ 憧憬だけしている愚図だ。

 ライブ、イベントにおける交流の中で飲酒を知り合い、知り合いじゃなかった人 それぞれと出来て楽しかったです。この楽しみを無為にせず何かに還元しなければならない、と思いました。しいて言えば知見を広げられたということ ぐらいでしょうか。

 

 ともかく自分は「何か」とか「とりあえず」とか思想や言動に曖昧さが多すぎて屑だ

と思ったので修正していきたいです。憧憬を糧に創造を。

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