hoshi368death

解脱できなくて現実逃避

バンプとレミオロメン 最後の西遊記 迷惑じゃない死に方

 最近バンプとかレミオロメンとか、自分が中学生の頃に聴いていたバンドの曲をよく聴く。だんだん自分の知らない音楽や新しい音楽を探求したりせずに過去に聴いた音楽をループして聴くようになってしまいそうで怖い。怖い、というのは音楽の探求(といっても大したことをしていない。CD屋やYouTubeで音楽を探すだけ)が自分の生きがい(といっても大したことではない。何となく死んでいない曖昧な理由であるというだけ)だと思っていたから、それが無くなるといつ死んでもいいような気分になってくるからである。どうなるんだろう。だんだん色々どうでもよくなる。生きるに値する娯楽とそれを楽しむ時間とそれを感受する術をくれよ。

 

 週刊少年ジャンプの新連載『最後の西遊記』が今のところめちゃくちゃ好き。まだ一話だから何とも言えないけど。主人公がヒロインを守る動機と主人公が生きる理由を一話かけて丁寧にやっているのが凄い。感情を描けているというか、ストーリーテーリングがエモーショナル。絵柄もポップなコロコロコミックって感じでめちゃくちゃカッコいい。障害等級第一級系ヒロインが見てて悲しいけど、だからこそ感情描写が際立つのかもしれない。普通に読むと退魔ものになるのかな、という感じだけど冒頭のユーチューバーっぽい展開は何なのだろう。わくわくが止まらないぜ、たぶん。

 

 ウシジマくんの最終回(原作のほう。実写ではない)で風俗嬢債務者の弟が「一番確実に死ぬ方法は人をたくさん殺して死刑になることらしい」と言っていたのが非常に印象的だった。多くの自殺とそれに付随する行動は周囲に止められたり、途中でビビッて辞めてしまったり、準備が面倒だったりでけっこう難しい。中途半端に助かって、負傷の後遺症に苦しむことやメンタルの病棟に入れられたりするの辛い。だからこその死刑。中々いい線いっている。

 結局他人に迷惑をかけない死 というものは存在しないのだろう。老衰で死んでも家族が遺体の処理、葬儀やその他役所の手続き等多くの手間がかかる。

 線路飛び込みの賠償金を払うのは遺族だ。どこで飛ぼうが首吊ろうが練炭焚こうが検死はあるし特殊清掃はあるしその場所は心霊スポットないし事故物件になる。家族や親戚は血縁者が自殺したというレッテルを貼られて生き続ける羽目になる。

 そもそも死なれるのは誰でも、大体は、恐らくは、きっと、悲しいし迷惑だろう。

 周りに迷惑かけたくないし、色々めんどくさいから死なない。

 まあ、今のところそれでいい。それでいいと思う。かもしれませんね。終わり。

サウナでワイドショー アヒトのflag 俺は何もつくれない

 夜勤明け、スーパー銭湯のサウナに行くのだが サウナ内で観たくもないテレビ番組を観なきゃならないのが苦痛。平日午後のワイドショーのコメンテーターが自分は何もしないのに偉そうに机上の空論並べ立てて責任を特定の何かのせいにして結論をでっちあげるのが著しく不快。平日午後のテレビ番組はそんなのばかりで、平民の一番の娯楽は捏造された正義と他人の不幸なのだと痛感する。サウナ、テレビ要らないのだ。BGM適当に流しとけばそれで良いと思う。サウナで観るテレビがまた格別、なんて思う人も居るのだろうか。

 

 ナンバーガールの再結成でアヒトイナザワネトウヨだとか、vola&the oriental machineのflagの歌詞がおかしいだの色々言われているが別にどうでもいい。そもそも2010年に作られた歌の歌詞に今頃ケチつけるのがまず意味が分からないし、flagはマジいい曲なのでYouTube聴いてから批判しろよ、という感じ。アヒトが政治的にどういうスタンスであるかどうかはナンバガに関係無い。ごちゃごちゃ煩いスノッブ共が不用意に喚いて煩悶。狂い死ねダボが。

 

 俺は何もつくれない。スーパー銭湯でふわふわと思考して小説、詩などのアイデアを考えるがまともな形にならない。どう頭を使っても既存の作品の模倣が稚拙に歪んだものができてしまう。オマージュ、と言い張ってもセーフにならないくらいオリジナルと比べて陳腐なものを発表するのは無益で迷惑で不快。わかっていても続けてしまう。まともに社会活動ができない愚物だから虚業で日銭を稼ぐ幻想にしがみついてしまう。夢を持つのは悪ではないが、実現不可能な幻視幻聴幻覚めいたものは社会生活不適合者の慰み物でしかない。現実が見れない。行動はしない。心の中で他者を嘲笑って自分の痴態を棚に上げる愚図が俺の正体。なるべく早めに病んで死んで燃えて消えたい。

詩が書けない コミティアに行こう 幻想が付き纏う

 詩の雑誌を買って、その雑誌に投稿して、承認欲求を満たし、生きる不安を取り除こうと画策した。ざっと雑誌を閲覧し読者投稿欄に目を通し、やるぞと思いワードを立ち上げるも何も思い浮かばない。Twitterで駄文を1,2行書くのとは違い、作品として文章を構成することの難しさを思い知る。読者投稿欄を見て「何とかなりそう」と思った自分自身を呪いたい。

 

 2月17日、18日上京を画策していたが17日はコミティアビッグサイトで行われることを思い出し、俄然希望が生まれた。17日まで多分死なない。17日の後はまだわからない。

 

 冬は新潟の山奥(私の居住地周辺)は雪で覆われ、多くの人間の活動性が停滞する。故にそんな状況下でこそ労働以外基本引き篭もり、創作に励むに最適な環境であるのだが、ほぼ何も生産できず駄絵と駄文で茶を濁している状態。この世に居る意味など考え生きる理由に創作をあてがおうとしているのに空回り。心中にクリエイターになりたい気持ち、つまりは創作者幻想が付き纏い、不安と嫉妬と怒りが膨張し暖房設備が炬燵しかない自室で曖昧にネットサーフィンしている。創作を金の糧にする幻想がやっと振り払えたのに精神安定の糧に創作を行い、かつ承認欲求を満たしたいという爛れた発想が拭い切れない。拭っても拭っても血管を切った皮膚が如く出続ける。

 曖昧な労働と家庭環境を通過するためには生きる糧が必要。生きる糧を考えて行かないと死ぬ。行動力が無いから実際に死んだりしないけど社会的に死ぬ。逃亡、したい。どこか遠くへ。

すぐ飽きる、七月にザゼンボーイズ、現代詩

 何をしてもすぐ飽きる。良いなー と思ったものも数日後にはどうでもいいものと化してしまう。楽しさの追求が雑になっているというか、楽しいと思い込もうとしているというか。バッティングセンター行くこと、停滞してる。バット19回振って300円は無駄かもしれない。わたモテは14巻読んだあと興味なくなった。何か、もこっちに嫉妬しているわけではないのだが。もうハッピーだからこれ以上読まなくていいじゃん、みたいな。スーパー銭湯に夜勤明けに行くのはまだ続いている。ネカフェでなくスーパー銭湯のほうが精神的充足感が高い。

 

 7月6日に新潟で行われるザゼンボーイズのライブに行く予定。そのためだけに生きるぞ。死にたいって言うやつ絶対死なない。ライブに色々行きたい。トリプルファイヤーのライブにもいつか行きたい。吉田靖直のエッセイの連載、書籍化してくれ。サカナクションのライブもいつか行きたい。でもMACを5人でカタカタやるライブパフォーマンスは正直止めてほしい。あれなんなの。

 

 現代詩に触れてみようと思った。純文学で新人賞を獲るのより現代詩で文壇にデビューするほうが確率的に高いのではないだろうか。収入とか別として。中学生の頃ノートにポエムをしたためる人間は沢山居ても雑誌に投稿する人とかあんま居ないだろうし。実際どうこうするのとか別にして知らないクラスタに己を突っ込んでみたい。俺はセンスが無いから何も大成しない。夢見るだけで良いのだ。雑誌に中二ポエムを投稿して出版社の人間に嘲笑われる愚者になるか。それともどうもしないか。

 

 なんか、こんな感じです。こまごました思いを3つくらい、つれずれなるままに書くのをブログで定期的にやっていきたい。

ゴールが無い 三連休に困惑 最近読んだ本

 学校を卒業してから達成感がありません。もう、こんなことが、ずっと… という感じで、もう、、、労働は、、、、

 

 BOOKOFFでインディーズイシュー(雑誌)の神聖かまってちゃんが表紙のやつが手に入ってちょっと嬉しいな っていうくらいで大した幸福がありません。蛸地蔵(今絶賛活動休止中のサイケバンド)のインタビューも載っててお得でした。

 

 ギターはあきらめました。俺にはギター以外にもっと他に出来ることがあるはず…と思い込んでそのまま死んでゆくのでしょう。愚図で屑。

 

 二月に急に三連休が発生して困惑、というか勤務日が増えたことによる変更なので全然嬉しくないというか無益というか なんというか。とりあえず何となく東京に行きます(田舎者なのでとにかく東京に行きたい気持ちが生まれる)。

 

~最近読んで良かった本~

カネコアツシの画集。対談が良かった。画集の中に収録されたTKDとの対談での「バブル期は読み切り一作描くと二か月暮らせた」という話が印象的でした。

②わたモテ。漫画です。急に全巻買いました。わたモテはアニメをちょっと観ただけだったのですが。全巻読んでみて、巻数が進むにつれて群像劇が生まれてきて凄いと思いました。

③狂い咲け、フリーダム。栗原康という人が編集?した日本のアナーキストのアンソロジー。色々な人の文章がありましたが大杉栄の文章は群を抜いてかっこいいと思いました。流石アナーキーインザJP。

 

 あ、こんな感じです。毎日いつもバーンアウトシンドローム。長い文章が書けない。死にたい消えたい爆発霧散したい。

BURGER NUDS の ANALYZEに成りたかった

www.youtube.com

 バーガーナッズに成りたかった。正確に言うとアナライズのMVみたいになりたかった。アナライズのMVのように生きれたらどれだけ良いだろう。

 

 単語の羅列 画質の悪い白と黒 冬の海とマフラーと弦と太鼓 そして、

 

 倍速コードの破壊衝動

 

 なんだ?倍速コードって? まあとりあえず昔も今もアナライズのMVになりたいしアナライズのMVみたいなものを作るクリエイターになりたいしバンプもシロップもいいけどやっぱりバーガーナッズ

模倣と日々と虚無と虚構

 絵でも音楽でもなんでもいいけれど憧れを抱くと大抵の人間は模倣する。こんなふうになりたい、という思いの発露なのであろう。そこからオリジナルに向かっていくか否かでセンス、才能というのがわかってくる。はじめからオリジナルに向かう人間も稀にいるのかもしれないが、それが純度100パーセントのオリジナルかどうかは……という話である。

 私は模倣の時点でうまくいかなかったのでスタートラインにも立てていなかったというわけである。

 

 最近10年ぶりにギターを買ったのだけど練習する時間的余裕も精神的余裕もない。というのも同居している母が腰の骨を圧迫骨折してしまい、結局入院となったのであるが家事を含めて色々厳しいからである。私ひとりであればどうとでもなるのであるが父や祖母等も居るのでその辺が色々あるのであり、母入院中の際の雑務も色々あるため色々色々である。

 逃亡したい気持ち、逃亡逃亡逃亡要求である。秤の様な労働、沼のような家庭、屑のような人生。

 

 スーパー銭湯に行くとアオイホノオを思い出す。スーパー銭湯行けるならギターも弾けるじゃん、ということもあるがスーパー銭湯に行くこととギターを弾くことは精神疲労度が異なるからスーパー銭湯には行くのである。しかし夜勤明けにだけ行く。普段は行かない。風呂とかサウナとかというより休憩所で寝たいのである。たまにスキンケア用品のセールスも居るがそれはそれとして夜勤明けはとにかく寝たいのである。

 さてアオイホノオであるが何故思い出すのかと言えば赤井と庵野が銭湯でウルトラマンごっこを(大学生なのに)するというくだりがあるからで、そのモラルとかそういうのではなく周りの利用客が憤慨しているのを山賀がなだめるシーンがとても好きだからである。ドラマや漫画の山賀ヒロユキは現実の山賀博之とは違うのであるが、モデルなのは事実なので山賀さんに会いたいなー という気分になってくる。

 山賀博之さん、食えているのだろうか。今、食いっぱぐれているんじゃないのだろうか。『蒼きウル』、どうなったのだろうか。

山賀さんは同じ新潟県出身なのでどことなくシンパシーを感じる。私は新潟の田舎のほうで、山賀さんは新潟の都会のほうだけどそれはそれである。アオイホノオでは絵が描けない、と言っているが本当は描ける。というかダイコンフィルムの背景描いてたんだからそりゃそうで 赤井庵野よりは描けない方 というニュアンスを島本和彦がマンガとして描いたらああなったのであろう。アオイホノオにおける「人を集める」というスタンスは本当らしく、インタビューでよく言っている。「同じ映画を10回観れば監督になれる、というのを本で見つけて『がんばれベアーズ』を10回観たら本当になれた」という話がたまらなく好きだ。本当の人間性とかはよくわからないけどスタンスとかそういうのは好きだ。

 

 模倣者にも起源者にもなれない私は既存の虚構や創作者の逸話を脳に記憶させて気を紛らわす。淹れたばかりなのに出涸らしの味しかしない茶の様な屑だ。

 死にたい。けど死なない。虚無は恐ろしいから。自分が無くなる恐ろしさに打ち勝つには悟るしかない。だけれども、悟りの真の意味とかそういうものとは別として、現代日本じゃ悟れない ということ。他の誰かは別として、少なくとも私は現代日本じゃ悟れない。チベット奥地でも多分、悟れないだろうけれど。

 苦しみの全くない 清らかな境地に、粗悪品でいいから至りたい。